〜 シネとは? 〜
このページでは、こちらのストールの織り技法、「シネ」をご紹介しています。
N.0370 フランス薔薇園のシネ織物ストール ソワ・ド・リヨン/アンティークモード
「シネ」は、
フランス語で
「シネ・ア・ラ・ブランシュ」と呼ばれる絹織物です。
水彩画のようにぼかした文様の織物は、
あらかじめ模様を染めた縦糸で模様を織り出す技法で作られています。
18世紀〜19世紀当時のヨーロッパでは、
フランスのリヨンだけで作られた織物で、
王侯貴族達の夏用素材として、18世紀中頃に流行しはじめました。

(シネ織物の18世紀ドレス フランス)
シネのほとんどは絹タフタなどの軽い素材の、淡い色合いで、
特に、18世紀ブルボン王朝の華と呼ばれ、フランスの工芸芸術を高めた
ポンパドゥール侯爵夫人が愛用したことから、
別名「ポンパドゥール・タフタ」と呼ばれています。

(ポンパドール侯爵夫人)
実はこのシネは、もともとはフランスで生まれた物ではなく、
17世紀に、インドや皇帝時代の中国とペルシャから海洋貿易を通じてヨーロッパへもたらされた工芸品の中でも、
最も高価で手間のかかる特別な織物「絣織り」のことでした。
当時の宮廷衣装に好まれ
、輸入の「絣織り」は「シネ」と呼ばれていました。

(18世紀のシネ織物の上着)
当時はインドやペルシャ製でしたが、輸入品では大変高価でしたので、
18世紀のファッションと工芸の中心であったフランスにおいて、
ポンパドゥール侯爵夫人が、
自らが庇護していたフランスの絹地の都市、リヨンの織物工場で作らせ始めました。

(青と白のシネ織物ドレス 19世紀)
ヨーロッパでは、シネはリヨンでのみ作られていました。
ポンパドゥール侯爵夫人は、リヨン製シネのドレスを着て、
ヨーロッパ各国の宮廷のファッションリーダーとなりました。
彼女の肖像画は、大使を通じて各国宮廷に送られ、貴婦人達が真似しました。
18世紀当時の宮廷では、
公式な場所では重厚な衣装を身につけましたので、シネ以外の金銀糸の織物や刺繍で豪華に装いましたが、
貴婦人による午後のサロン文化が18世紀中頃に始まりますと、
より軽やかなシネ織物へと、モードの趣味が変わって行きました。
当時のアフタヌーンドレスには、シネ織物をはじめ、
エキゾチックな魅力のインドの染色布、手描き更紗などが使われています。

(18世紀フランスの貴族のサロン・アンティミテ 〜親しい友人と、芸術家や音楽家を迎えたプライベートサロン)
後の
マリー・アントワネット王妃の時代には、より優しく柔らかい印象の生地が好まれ、
文化全体に繊細さや軽やかさが表れて来ました。
19世紀の
ナポレオン3世皇帝時代には、18世紀の王朝文化の復活があり、
シネ織物が再び流行し、リヨンで作られてました。

(1840年頃のドレス)
この
フランス薔薇園のストール は、ナポレオン3世皇帝時代の織物です。
日本にも「絣」がありますが、
絣はもともとは古代インドで生まれ東南アジアを経て、琉球王国から日本へ伝わり、
19世紀初め頃に久留米絣が始まり、江戸時代(~1863年)後期には各地で絣が織られたそうです。
また、正倉院や法隆寺には皇帝時代の中国からもたらされた、絹絣の古代裂が残されています。

フランスの織物
「シネ」は、
南方のインドやペルシャから始まったためでしょうか、
豪華ではありませんが、柔らかく軽やかで、どこか素朴な美しさを持った布です。
たった1枚の「布」ですが、
それが出来上がるまでには、作った人々、その技術を伝えた人と時間、
そしてそれぞれの国が独自の文化としていった歴史が織り込まれているのですね。
パァジュ・ド・マリールイーズでは、
これからも知られざるフランスの美しいものをご紹介して参ります。
どうぞ楽しみにお待ち下さい♪
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